今、ここにいる。

AC(アダルトチルドレン)は、乗り越えられる。

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嫌なこと、嫌な人

自分の中で、
嫌いな人や嫌なことなど、考えたくないことがあると、
とりあえず頭の端っこに押しやって、目を背けたい。

でも、考えないようにはするけれど、
それが消えてなくなるわけじゃないのが現状です。

それでもって、ず~っとそうやっておくと、
「考えたくないこと」そのものの上に、
「考えたくないことが解決しないままになっていること」
が加算されていきます。時間が経つほどに、
「考えたくないことが解決しないままになっていること」
の容量は増えていくのですね…

そして容積が増えるほどに何やら大ごとに思われてきて、
更に敬遠しているうちに、
頭の中でどんどん占有面積が大きくなっていくという悪循環…

だから、嫌な人や嫌なものには、
「嫌だなぁ」と思った時点で(頭の中で)向き合ってみると、
一番低コストで対処できるのかもしれません。

それに、「嫌だなぁ」と感じていることに思い切って向かい合うと、
意外と大したことなかったり。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」というやつですね。

私も最初は、怖いなぁ嫌だなぁと思いながら、
それでも懸命に気持ちを奮い立たせて、
考えたくないことに向き合うようにしていました。
でも、段々とそれに慣れてくると、
「嫌だなぁ」と思って敬遠しているものの正体、
見てやろうじゃないか!という気持ちで挑めるようになりました。
そんな自分に、少し成長を感じます。

もちろん、うまくそう思えないこともありますが…
だって、嫌なものから逃げるのは動物の生理的行動だから、仕方ない。


けれど、目を閉じて、耳をふさいで、
ず~っと嫌なものを避け続けて、
否応なしにそこから逃げるしかない状態に陥ってしまう前に
「逃げる」か「攻める」か選択肢がある段階で、自分に選ばせてあげる…
というのは、
誰にも気づかれず、誰にも迷惑かけずに
自分を尊重してあげる方法なのかな、と思います。



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| 楽に生きるためのあれこれ | 15:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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何故逃げちゃいけないのか

産経新聞に投稿された、「逃げ」という詩が話題になっているようです。
記事は→こちら

作者は13歳。

人間以外の生き物は、逃げることで生き延びるのに、
人間だけは何故「逃げてはいけない」と言われるのか。

作者は、そこが疑問なのですね。

私も考えてみました。


人間以外の生き物っていうのは、
生き延びること、もしくは子孫を残すこと、が至上命題なのです。
だから、そこを脅かすものから逃げる。

でも人間は…
生き延びることや子孫を残すことが至上命題でないこともある。

これは大きな違いだと思います。

切腹とか特攻隊とか、命より名誉重視です…
地に這いつくばって生きるよりかは、
美しく、輝かしい栄光の中で死ぬ方を選ぶ。

自殺をするのは人間だけなのだそうです。
動物は、最後の最後までどんなに病気で苦しくても生き抜きますが、
人間には尊厳死とか安楽死があります。
乳がんで、乳房の切除を拒否して亡くなった方もいるそうです。
生き延びるためには切除が必要だったのでしょうけれど、
その方は、自分の女性の部分を切り取ってまで、生きていたくなかった、と。

人間には、命をつなげることより、
尊厳や名誉や、公表できない秘密や、
その他色んなものを優先しなきゃいけない時がある。

だから、逃げたくても逃げちゃいけない・逃げられない時があるのですね。

逃げてよかったり、逃げちゃいけなかったり、
人間の「生」って、複雑だなぁと常々思います。
目の前においしそうなケーキがあるのに、
ダイエットのために食べたらダメとか。
犬なら、ぱくっと食べておしまいなのに(笑)

まぁ、それも、
より良い生を勝ち取るという命題につながってはいるとは思いますけれど。

しかし何というかやっぱり、人間を生きるというのはやはり複雑で疲れる。
次は、プランクトンに生まれ変わって、
何も考えずにただ生き、ただ死にたいものです。



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| 思うこと | 16:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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欝々として苦しい時には、この気分転換で!

心が欝々として苦しい時のメモ。

何だか理由もなしに心が辛い、苦しい、生きているのが嫌だ…
そんな思いに苛まれてふさぎ込んでしまい、家に閉じこもっていることが、
昔、よくありました。

よくあったっていうか、
以前はそういう精神状態がデフォルトだったといいますか(^^;)

で、考えに考えて考えて、
すこ~しだけ心が軽くなる方法を編み出しました。そのご紹介。
(編み出したって程でもないんですが)

すごく簡単なんです。
「外を歩くこと」
これです。
これだけで、心の状態が少し変わります。

理由はちゃんとあるんです。
「外を歩くとなんとなく気分が晴れるというかー」
的なものではありません(^^)


何故気分が変わるのかというと、人間の思考というのは、
目に映る景色、耳に聞こえる音、皮膚から伝わる感触、
その他外からの刺激によって動くのですね。

例えば、カーテンの隙間から光が射してきて「ああ朝か」って思って、
それで「今何時だろう」→「朝ごはんにするか」→「朝ごはん何食べよう?」
→「あっ昨日パン買い忘れた」→「今日買いに行かなきゃ」→
「そういえば今日は卵の特売だ」→「早く行かなきゃなくなっちゃう」
→「ついでに服も買いに行こう」→「よしじゃあもう起きるか」
って思って、起き上がる。

外からの刺激によって思考が動き→行動に移り→また刺激をうけ→
また思考が動き→…と、一連の流れを繰り返しながら生きている。

だから。
例えば、ずっと同じ場所にいて、ずっと同じことばかりしていると、
外から受ける刺激も同じようなものばかりになり、
そうすると思考も同じことをぐるぐると考え続けるようになります。
で、この状態でネガティブ思考にはまると、
ネガティブなままぐるぐると止めどなく考え続けることに…(-_-;)

それを断ち切るために、外に出るのです。

本当は、海外に出てみたり、普段と全然違うことをしてみたりするのが
思考ががらっと変わって面白いのですが、
それはそれで大変なので、まずは家の外にちょっとだけ出てみる。

そうすると、思わぬところにネコがいたり、きれいな花を見つけたり、
新しい刺激を受けることができます。
それによって、ぐるぐると同じところを回っていた思考の軌道が
ほんの少しずれて、違うことを考えられるようになるんです。
そこから、新しい発想や別の感情・気持が生まれます。

昼間だとちょっと人目が気になる…という場合は
夜がお勧めです。(ただし周囲に気を付けてくださいね)
いつもの場所が、何だか違う表情をしていて、はっとしたりしますよ。

何だかわからないけれど気分が塞ぐ…という方。
是非、試してみてくださいね。



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| 楽に生きるためのあれこれ | 17:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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弱者は生きていても無駄だから死ねばいいのだろうか。

相模原の障害者施設殺傷事件。本当に悲しいことです。
母がそういった施設で働いていたことがあるので、
障害を持つ方の可愛い、愉快なエピソードをよく聞いていました。
実家近くには、障害者が働くパン屋さんもあって、
注文したコーヒーを、丁寧にテーブルに置いてくれたことを思い出します。

「障害者なんていなくなればいい」
と、犯人は述べているようです。
このことについて、少し考えてみました。

障害者だけでなく、お年寄りや病人、うつでひきこもっている人など
生産性のない「弱者」は、単なる社会の負担・お荷物なのだろうか。

倫理的、感情的な側面から考えると、
自分の祖母は大切だし、知り合いの障害児はとっても可愛いし、
うつの辛さだって理解できます。

でも、感情ぬきの生物学的な視点から見ると…
確かに動物としては、そういう弱者は真っ先に淘汰の対象となる。

じゃあ本来弱者は守らなくていいのかというと、
動物と人間ではちょっと違うと私は思うのです。

人間社会において弱者を守るというのは、
自分が弱者となったときのための保険なのではないでしょうか。
健常な人だって、いつ何時、社会的弱者になるかわからない。
仮に元気でいたとしても、老化からは逃れられない。

弱者の立場に転じた時、「んじゃ、役にたたないから死んでね」
なんて、誰だって言われたくない。
事故で半身不随になったとき、
「はい処刑決定。育てる親のいないあなたの子供も処刑ね」
なんて、絶対困る。

社会として弱者を守るというのは、
実はそうして自分自身を守ることではないかと思うのです。
ある動物は爪や牙、ある動物は素晴らしい脚力、
またある動物は極度に多い産卵数が、生存競争を生き抜くための戦略である。

で、牙も脚力も持たない人間の生存戦略というのが、
寄り集まって社会を構築し、自分が弱者となったときの担保をつくり、
それによって自分を守ること…
ではないか。
(もちろんシステムの不備は改正・改善の必要がありますけど)

そんなことを、考えてみました。

最後に、亡くなった方のご冥福を、心よりお祈りしたいと思います…



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| 思うこと | 11:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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さりげなく、さらっと、ふわっと、笑顔で他人と会話を交わす…のが難しい

小さい頃、
「これはきっと大人になったらできるようになるんだろうな」
と思っていた「あること」がありました。
それは、
『さりげなく、さらっと、ふわっと、笑顔で他人と会話を交わす』
ということです。

例えば、母が昔、知り合いのおばちゃんと道端でばったり会った時、
こんなような会話をよくしていました↓

「あっらー元気?生きてたの?」
「何とか生きてるわよ!うちのおばあちゃんがまた入院しちゃってさぁ」
「あらぁ、そう…病院と行ったり来たりで大変だよねぇ、出費もかさむしね」
「そうなのよ…自分たちは倒れないよう、気をつけようね」
「ほんと、体壊すんじゃないよ~」
(と、言って笑顔で別れる)

小さかった私には、
こういう類の会話は、もう神業としか思えませんでした。
だって、誰かに突然出会って、その人に見合った言葉をかけて、
それに対して返って来た言葉に上手にまた返事をして、
そして最後にオチをつけて笑顔で結ぶって…
難易度高すぎ(^^;)

私はこういうのが本当に苦手でした。
とは言え、小学生の頃、やってみたんです。
知人友人の顔を思い浮かべながら、
その人と遭遇した時に出てくるであろう話題をある程度挙げ連ね、
それに対する返事を何パターンか考え、
更にそこから派生する可能性のある会話をあれこれと想定してみました。

が、考えすぎて嫌になりました…orz
そして、会うのを回避するか、会っても気付かないふりをするのが
一番効率的だろうという結論に至りました(^^;)

まぁ、大人になればきっと私もできるようになるんだろうな、
と思っていたのですが、
大人になっても、一向にできるようにならず。
そして、色々あった末、自分がACであることに気付き、
あれこれあがいたり癒しをしたりして、今に至ります。

ところが最近、これができるようになっている自分に気が付きました。
生まれ育った場所から、気候も風土も全く違うところに引っ越して、
そこで接客業の仕事をしているのですが、
何人ものお客さんを相手に、笑顔でかる~く会話してるよ、私!!
と、気付いたんです。

もちろん、最初からいきなりそうできたわけではなく、
慣れたり、信頼関係を気付いた上での話です。

でも、大人になったらできると思っていた何気ない会話、
できるようになってるよ、私!
と、いうことは、私は今頃ようやく大人になったのか!?

…もしかしたら、ただの年の功なのかもしれませんが、
自分がオバチャンになったということより、
大人になれたのだということが、無性にしみじみと嬉しかったです(#^^#)

と、いうことで、最後にそんなかる~い会話のコツを少し↓

何か気の利いたことが言えなくても、
「そうですね」「それは大変ですね」「それはよかったですね」
という共感の言葉だけで、何だか温かい雰囲気になりますよ。
(あと、共感してあげると、こっちが何も言わなくても
大抵は相手が勝手にしゃべってくれます)

是非、試してみてください(^^)/



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